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化け猫の伝説により生善院は通称「猫寺」と呼ばれています。

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須弥壇、厨子ともに観音堂と同じ寛永2年(1625)に造られたものです。須弥壇は折衷様式で、正面を蕨手(わらびて)に造る擬宝殊高欄を廻し、嵌板には草花等の彫刻が施されています。厨子は、桁行一間、梁間一間、正面入母屋造、こけら葦の禅宗様の厨子です。軒の隅には、青井阿蘇神社楼門同様に鬼面の彫刻があります。

※写真をクリックすると拡大します。

nekotera007.jpg須弥壇と厨子

天井は「折上組格天井」と呼ばれる形式で格式の高いものです。格縁は黒漆塗で面に金箔を貼り、小組は朱漆塗、天井板は黒漆塗としています。正面の中央間を除き他の十一面の小壁(壁板の一番上)の壁板には、生き生きとした馬の彫刻が施されています。

nekotera006.jpg千手観音

寛永二年(1625)
台座内墨書(三十三観音展の際確認)
「開眼供養導師願成寺第□□□當寺開山法印権大僧都堯辰敬白御堂本尊千手千眼観音菩薩者是普門寺□□□先師権大僧都盛誉□□□□□菩提於平安城令相良壱岐守□□(長毎公)」
記録には「寛永二年十月十八日入仏供養□□□」とあります。
寛永二年に京都で造立された秀れた仏像です。
水上村指定(平成12年1月10日)有形文化財

nekotera008.jpg猫の彫刻

この猫の彫刻は、玖月善女(くげつぜんにょ)の愛猫「玉垂(たまたれ)」かもしれません。

nekotera009.jpg落書き

この落書きは、宝暦3年(1753)に縁の正面側を修理した時のもので、17歳の大工「江口治部右衛門」さんが20歳の「おせん」さんに好意を寄せて書いたもののようです。はたして二人はどうなったのでしょう。